教育
2016年12月29日(木)
金次郎像と歩きスマホ
sugitaです。最近、明治時代の文豪・幸田露伴が書いた、二宮金次郎の生涯の本を読みました。
といっても、当時の漢文調のではなくて、現代語訳なのですが。
そこで、金次郎についてちょっと調べたところ、最近、小学校で、あの金次郎像が撤去されつつあるようですね。
二宮金次郎の生い立ち
金次郎、のちの二宮尊徳は、子供の時は非常に貧しかったようです。叔父のもとで奉公したものの、毎日、仕事に追われて、なかなか勉強する暇がありませんでした。
しかし、金次郎はめげず、自分で育てた菜種から油をしぼり、それを灯りにして夜に勉強するなど、境遇に負けずに、立派な人間になろうと努力しました。
努力の甲斐あって、自分の家を再興することができた金次郎は、その後、小田原藩(現・神奈川県)に出向き、町の復興や藩の財政の立て直しなどを行っていきます。まさに、元祖・経営コンサルタントといってもいいような一生を送り、自らの努力によって豊かさを実現する道を教えたのでした。
金次郎像の意味
有名な金次郎像は、薪を背負って歩きながら本を読んでいます。この姿が、子供たちの歩きスマホやながら歩きを誘発して危険である、といった指摘を受けるようです。
たしかに、金次郎像が全国に建てられたときにはスマホなんてなかったですし、最近は教育現場にまつわる事故も度々耳にするので、あながち的外れではないとは思います。
しかし、金次郎像が手にしているのは、インターネットの暇つぶし情報ではなくて、孔子が書いた「大学」であることは、忘れてはならないと思います。
金次郎も本当は座って勉強したかったでしょうが、環境がそれを許しませんでした。しかし、それにめげず、自分で勉強できるような工夫をしていきました。そこに金次郎像の精神が込められているのではないでしょうか。
将来を見通しにくい現代だからこそ、自分の努力と知恵でもって未来を開いていける子供たちを育てるべきだと思っています。金次郎像の精神が学校現場から無くならないことを祈りつつ、年賀状の準備に追われようと思います。